海が見える喫茶店

「Love is made by two people, in different kinds of solitude.」
「どういう意味なの?」
孝子は身を乗り出して、篤史が開いている本を覗き込んだ。
「愛は二人の人間によって作られる・・・異なった寂しさの中にいる・・・。日本語に訳すよりも、英語の言いまわしの方がいいね。」
そう答えて、篤史はコーヒーを一口飲んだ。

海岸通りに沿った高台に、その喫茶店はある。
小ぢんまりとした静かな店内は、海側がぐるっとガラス張りになっていて、どの席からでも海が見えるようになっているが、左側の窓にそったカウンターは椅子が外に向いていて、お客は海を正面に見ることが出来る。
そしてもうひとつ、この喫茶店のいいところは、店内に流れる音楽は有線放送ではなく、マスターが選んでかけるレコードで、お客のリクエストも聞いてくれるというところだ。だけど、ここにあるレコードはマスターの好みのものしかないから、リクエストはレコードがあれば、という条件付き。

「これ、キース・ジャレットね。」
「よく知ってるね。」
「うん、CD持ってるの。この静かなピアノ、いいよね。」
「実はさ、これ、さっき僕がリクエストしたレコードなんだ。」
「ふーん、次は私がリクエストしようかな。」
「何を?」
「ビートルズ。」
「ビートルズが好きなんだ。」
「うん、好き。でもレコードもCDも持ってない。」
「どうして?」
「どうしてかな、手元にあるとよく聞くでしょ、そうすると好きな曲の雰囲気や懐かしさが薄れるっていうか、自分の意志では聞けないほうがいいの。どこかでふと聞いた時に、『あぁ、いい曲だわ、懐かしいなぁ。』って感動したいから。」
「へぇ~、変わってるね。」
「そうかなぁ、大切な物って手元に置いておきたいっていう気持ちもあるけど、手元に無いから大切に思うっていうか、自分の物じゃないその苛立ちがまた快感だったりすることってない?」
「どうかなぁ、僕は欲しけりゃすぐ自分の物にしちゃうけどな。」
「欲しいけど手に入らないモノだったらどうする?」
「そりゃあ、頑張って手に入るようにするさ。」
「それでもダメだったら?」
「諦めたくないけど、他を探すかな。」
「好きな女の子でも?」
「女の子?ん~、それはレコードやCDとは違うね。好きな女の子なら諦めたくないなぁ。」
「だけど、よく言うじゃない、手に入れるまでの攻防が楽しいって。」
「それはそうだけど、僕はそんなに恋愛経験が多くないし、惚れにくくて冷めにくいタイプなのかもしれない。だから、好きな子なら手に入れてからもずっと大切にするよ。」

梅雨明けしたばかりの空はすっかり夏の青さで、太陽は眩しく白く燃えていた。
日曜日ということもあり、喫茶店は満席だった。
カウンターの椅子も空きが無く、篤史と孝子は左端に並んで座っている。
篤史は読んでいた本を閉じるとコーヒーを一口飲み、じゃあ真面目に話しましょうかという顔で、孝子の方を向いて椅子に座り直した。

「そういう自分は?好きな人がいても、一緒にいられないほうがいいの?さっきのレコードの話しみたいに。」
「ううん、人間はレコードとは違うから、傍にいて欲しい。でも、よく言わない?一番好きな人とは結婚しないほうがいいって。」
「知らないな。だって、一番好きだから結婚するんじゃないの?」
「そりゃあそうだけど、結婚して一緒に生活をすると、見たくない部分や嫌なところも見えてくるから、心の中に仕舞っておく淡い恋心は崩れ去ってしまうかもね。それなら、綺麗にとっておきたい人とは結婚しないでプラトニックに想っているだけの方がいいのかもしれない。」
「そんなもんかなぁ。僕は独身だから結婚生活のことはわからないけど、そんなふうに言われると、結婚って何なのか分らなくなるなぁ。僕はやっぱり一番好きな人と結婚したいな。」
「理想と現実は違うのよ。自分が思い描いていた理想の生活を実際している人なんて、ほんの一握りだと思うけど。」
「そうかなぁ、僕は自分の理想の生活をしたいし、その為に頑張るけどな。」
「ロマンチストなのね。」
「普通だよ。」

カウンターから海を見渡すと、水平線が中央に向かってふわっと湾曲しているのが見て取れる。
「地球って、どうして丸いの?」
「丸い方が便利だから。」
「・・・今の私達って、何でつながっているの?」
「何だろうね、時間かな?」
「時間?」
「うん、ここにいる時間を共有している、っていうつながり。」
「そう・・・、ここにいる時間ね・・・」

孝子は少し憂鬱な気分で、篤史の顔を見た。
その時、カウンターで篤史の隣りに座っていた女性が、椅子から降りて、ハンドバッグを抱えてレジに向かった。
どうやら待ち合わせの相手が来たらしい。店の入り口のところで、彼女が会計を済ませるのを見ている男性がいる。
やがて、会計を済ませた女性と迎えに来た男性は、笑顔で何か話しながら喫茶店を出て行った。
それまで満席だった店内で、カウンターにひとつ空席ができた。

「ほんとに混んでるね。いつもこうなのかな。」
孝子は、ガム抜きのアイスティーをストローで飲んでいる。
篤史は話しを続けた。
「ここは古い店みたいだね。表の看板も年季が入ってるし、中もレトロな雰囲気だよね。」
「そうね、私が子供の頃には、もうあったから。」
ストローから口を離した孝子は、篤史の方を見ずに答えた。
そして白いストローで、グラスの中の氷を突ついてカラカラと音をたてていた。
「ふぅん、じゃ、だいぶ古い店なんだね。」
「ちょっと、それって私がいかにも年をとっているみたいじゃないの。」
孝子は篤史の顔を見て、口を尖らせた。
「あ、ごめん、そういうつもりで言ったんじゃないよ。でもさ、僕より年上って事だけは事実だから仕方ないよ。」
「男も女も、若けりゃいいってもんでもないと思うんだけど、男は若いおねえちゃんが好きだもんね。」
「それは人によるでしょ。僕は若けりゃいいなんて思わないよ。あんまり若すぎるよりも、少し年上の人の方が気持ちが落ち着くしね。最近『癒し』って、よく耳にするでしょ、男女の付き合いも、年上の女性を求める男性が増えているのは、癒して欲しいっていう気持ちの表われらしいよ。イチローが結婚記者会見で、奥さんとの8歳の年の差のことを聞かれて、『それが何の問題があるのかわからない』ってサラッと言ってたでしょ、あれってカッコイイなと思った。僕も同感だな。」
「年上の私としては、嬉しいお言葉ですねぇ。」
「だって例えば、年齢は知らないけど好きな人がいて、年齢を聞いたからって急に嫌いになるなんてことは無いからね。それなら最初から何歳までしか付き合わないよって言って回っていりゃあいいんだ。」
「じゃあ、今まで付き合った人は、みんな年上なの?」
「ううん、みんな年下。」
「なぁんだ、説得力が半減しちゃった。」
「だから、それだって偶然そうだっただけだよ。だから年を聞いて付き合うわけじゃないんだってば。」
「みんな独身の女の子?」
「うん。」
「不倫とか、したことないの?」
「ない、っていうか、ある。」
「どっちなの?」
「いや、ないよ。だって不倫っていうのはセックスが伴って言える関係でしょ、セックスしてないけど好きな人はいるからね。だから、不倫っていうのはしたことないよ。」
「セックスしないと不倫とは言わないの?」
「言わないでしょ。心の中で思っていることまで不倫だなんて言われたら、たまったもんじゃないよ。」
「それもそうね。」
「その相手、誰だと思う?」
「私。」
「あはは、当たり!」
篤史は、屈託なく笑った。
自分の冗談に素早く反応した篤史に、孝子は微笑んだ。
「私も変わってるけど、自分だって結構変わってるわよ。」

店内のBGMは、孝子がリクエストしたビートルズに変わった。
「ビートルズの曲って、どうして懐かしい雰囲気があるんだろうね。」
「そうね、リアルタイムで聞いていたわけじゃないんだけど、何て言うか、潜在意識にある何かを刺激するっていうか、懐かしさのツボにはまるのよね。」
「リアルタイムじゃなかったの?」
「ちょっと、私の事、幾つだと思ってるの?ジョン・レノンが亡くなった時、幾つだったかな・・・」
「僕は生まれてないよ。」
「嘘!」
「たぶん嘘。」

この喫茶店には、時計が無い。
「そろそろ・・・」
篤史は、腕時計に目をやった。
「時間?」
「あれ、時計が止まってる。」
「やっぱり。」
「やっぱりって?」
「この店の中では、時計が狂うんだって。だからここには時計が無いでしょ。」
「えっ!ほんと?」
「嘘。」
「ぷっ、な~んだ。本気にしたよ。」
「さっきのお返しよ。」

実際に、どのくらい時が経ったのだろう。
唯一、時の流れを辿れるものは、BGMの曲だけだった。
だけど・・・何曲目だっけ?
白く燃える太陽の高さを見ると、まだそんなに時間は経っていないようにも思えるけれど。

篤史は、タバコに火をつけた。
そして、ため息のように煙を吐き出したその時、後ろから篤史の肩に腕をまわしてもたれかかる様に背中に抱きついてきた女性が現れた。
「お待たせ。」
彼女はそう言うと、人目をはばかる事無く、篤史の頬にキスをした。
「あぁ、だいぶ待ったよ。」
「ごめんね、遅くなっちゃった。」
彼女は、篤史の肩にまわした腕をほどいて、せかすようにドアの方に向かった。
「お相手が来たようね。」
孝子は、椅子から立ち上がってタバコをもう一服している篤史に言った。
「うん、話せて楽しかったよ。」
篤史はそう言って、急いでタバコを灰皿でもみ消し、彼女の後に続いた。
孝子の視線の中で、篤史は一瞬、振り返って、孝子に向かって手を上げて微笑んだ。
レジで会計を済ませて、篤史とその女性は楽しそうに話しながら、喫茶店を出て行った。

そのふたりと入れ違いに、かわいい赤ん坊を抱いた男性が店に入って来た。
そして孝子に近づいた。
「遅くなったね、行こうか。」
「うん。」
椅子から立ち上がる孝子に、男性が聞いた。
「誰かいたの?」
カウンターに、飲みかけのコーヒーと灰皿にあるタバコの吸殻が目に入った。
「あぁ、たまたまここに座った人と話しをしていたの。私が来た時、とても混んでいて、カウンターしか空いてなかったのよ。」

ここは、海が見える喫茶店。
ここには時が無く、めぐり会いがあり、待ち人が来る。
もしもあなたに会いたい人がいるのなら、この喫茶店に来れば会えるかもしれない。

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Gillesさんからのキャラクターリクエストです。
2回のカウントヒットでふたり合わせた共演です。
キャラクターは「篤史」と「孝子」

 

2000年07月26日記