夏の終わりに

早朝の公園には、ブランコに座っている夏樹以外に誰もいなくて、蝉たちの鳴く声だけが、雲ひとつ無い快晴の空に響き、きょうも暑くなりそうな気配がする。
白いすとんとしたワンピースに、麦わら帽子をかぶって、夏樹はブランコをこぐでもなく、じっとしているでもなく、地面に着けたサンダルのつま先で宙に浮いた自分の体をゆらゆらと揺らしていた。

『学校の先生になるの?』
『うん、地元に帰って正式に公立高校の教師になるよ。この1年は講師としてやって来たけど、そろそろ先の事とかいろいろ考えないとね、両親も帰って来いって言ってるし。もう赴任先の学校も決まったんだ。』
『公務員になったわけね。』
『そうだね、地方公務員ってやつだね。』
『どうして先生に?』
『他に出来そうな仕事が無かったから。』
『先生しか仕事が思いつかないっていうのも、すごいわねぇ、なりたくてもなれない人だっているでしょうに。』
『僕が今までしてきた事と言えば、大学院での研究しか知らないし、世間知らずは自分でもよくわかっている。とりあえず社会に出ると言っても、勉強することは好きだし教えることも好きだからね、そういう意味では教師って一石二鳥でしょ。』
『なるほど、その為には割とあっさりここの生活を捨てられるわけね?』
『うん、見切りを着けるのは早い方かもしれないな。あとは夏樹の気持ち次第なんだけど、僕について来てほしいんだ。』

それは数ヶ月前に、夏樹が真史(まさし)から言われた言葉だった。
それは真史のプロポーズとも取れる申し出だったのだが、夏樹としては、いくつかの問題があって、素直に喜べなかった。
現在25歳で、小さな建設会社の事務をしているOLの夏樹が、ただ自分のことだけを考えればいい立場なら、すぐにでも真史について行ったであろう。
しかし、夏樹には子供がひとりいた。直哉(なおや)2歳半。
子供がいるということは、結婚歴がある、いわゆるバツイチ。
離婚は1年半前に成立しているので、真史との結婚には書類上の問題は何も無い。
しかし夏樹にとって、直哉は自分の命とも思える愛する息子、その直哉のことを考えると、再婚には慎重にならざるを得なかったのだ。

『先生になって郷里に帰るってこと、もっと早く言ってほしかったのに。』
『そうも思ったんだけど、僕なりにいろんなしがらみもあって、夏樹が止めても向こうに行くことは変えられないし、それに、きっと一緒に来てくれるだろうと思っていたから。』
『そう・・・少し考えさせて。私にとって、真史さんは大切だけど、直哉もとっても大切な存在だし、簡単に返事は出来ないわ。わかるでしょう?』

その後すぐに、夏樹の返事を聞くより先に、真史は赴任先の学校がある地方へと引っ越して行った。
夏樹が直哉を連れて、真史の住む町に出向いたのは、それから1ヶ月程過ぎてからだった。真史の両親に会いに行ったのである。
まずは、真史の両親とも会って話してみたかった。
そして、真史の実家へ訪問。
『大学はどちらへ?』
『そのお子さんは?』
『離婚の原因は?』
『ご両親は何を?』
そのうち、直哉がぐずり始めて、結局一方的な質問攻めだけでドタバタとご挨拶の訪問は終わった。
夏樹にとっては直哉のぐずりが、自分を針の座布団に座っているような時間から開放させてくれた。

真史が、とても気を使ってくれている様子は夏樹にはよくわかった。
だけど、真史が思っているほど世間は甘くない。
ふたりで(直哉もいれて、3人で)無人島にでも行って生活するのなら話しは別だが、これから教師として新しい生活をする真史には、世間体というものを考えると、自分は相応しくないのではないかという思いが、夏樹の中でどんどん膨らんで来た。
自分は、大学には行っていないし、バツイチで連れ子がいる。両親は小さな居酒屋をしていて、家族そろって公務員の真史の家とは全く違う環境で育っていた。
そういった事に、引け目を感じたことなど一度も無かった夏樹だが、今回ばかりはひとつひとつの質問に答えるたびに何故か胸に突き刺さる思いがした。
真史にしてみても、あっさりクリア出来ると思っていた関所で、足止めを食らったように感じたようだった。

私って、こんなに臆病な人間だったのかな・・・
「子供の事」を考えた時、夏樹は自分が神経質になりずぎているのかもしれないと、少し離れて自分を見てみたけれど、結論はやはり同じだった。
あの様子では、真史とは、直哉の兄弟は作れない。
直哉のことを思うと、もしもこれから真史との間に血の繋がった子供が出来たなら、直哉が可愛がって貰えなくなるのではないか?
そうなったら、直哉が可愛そうだ。そんなことは出来ない。
考えすぎかもしれないけど、直哉のことを一番に考えたい。
そういう夏樹の気持ちを理解してくれる真史だが、やはり自分の子供がほしいということは譲れず、それも自分にできる親孝行のひとつだと言う。
夏樹にしてみたら真史に、直哉だけを自分の子供として育てる。と言ってほしかった。今は、ただそういう気持ちがあるのだということを、示してほしかった。
自分を女として再出発させるには、直哉はまだ幼すぎた。
今は母親としての自分しか考えられない。

季節が梅雨に入る頃、夏樹は結論に迷っていた。
それにしても、真史と一緒に過ごしたこの1年は何だったのだろう。
直哉の父親以外で、こんなに頻繁に会った男性は真史だけだった。
幼い直哉にも、真史の存在は気がついているはず。パパと呼ばせることも、おそらく今なら簡単に出来る歳であろう。
でも何かが違う。どこかに不安が残る。
もしも、直哉がいなければ状況は変わっていたかもしれないけれど、夏樹にとって、直哉がいない生活など考える事さえ出来なかった。

「愛する者を守る」って何だろう?
夏樹は真史に最後の質問をして、結論を出した。
もうじき、夏が終わる。

夏樹はブランコから降りて、公園の出口へと歩き出した。
昨夜、実家に預けた直哉を迎えに行く準備をしなくては。
荷物はもう向こうに届いているはずである。
あとは直哉を連れて、新しい生活へ飛びこむだけ。
そこには不安もあるけど、やってやれない事はないはず。
まして、やってみなければ分らない。
何があっても、直哉は自分が守る。

夏樹の最後の質問に、真史は夏樹を「守る」と言ってくれた。
もちろん直哉のことも。

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たけちゃんからのキャラクターリクエストです。
キャラクターは「夏樹」25歳OLです。

2000年08月27日記