あなたに逢うために

 初夏の朝、女の子が母親に手を引かれて保育園へ向かっていた。
保育園の門まで来ると、女の子の歩く足が止まった。
「あっちゃん、どうしたの?」
母親は急に立ち止まった我が子に聞いた。
「たっくん、おはよう!」
「たっくん・・・?」
母親は不思議に思った。
あっちゃんが「おはよう」と言った先には、誰もいなかったから。
「あっちゃん、たっくんってだぁれ?」
「お友達。」
「そう・・・どんな子なの?」
「あっちゃんと同じ年の男の子。」
しかし、あたりを見渡しても誰もいない・・・

 あっちゃんは母とふたりの母子家庭で、保険会社に勤める母は毎朝あっちゃんを保育園に送ってから会社に出勤する。そして夕方に仕事が終わると、あっちゃんを保育園へ迎えに来る。
3歳のあっちゃんは明るく元気な女の子だけど、時々不思議なことを言って母を驚かせた。
母は保育園の先生にも話したけれど、あっちゃんに特別変わったところは無いし、小さな子供は頭の中で何かを空想して遊んだりすることもあるから心配ないとのことだった。
その朝も母は、あっちゃんが言うことにちょっと戸惑ったけど、いつものことかとたいして気にも留めずに、あっちゃんを連れて保育園に入って行った。

あっちゃんの言う「お友達のたっくん」は、その後も時々母の見えないところで現れていたようだけれど、その年のお盆休みの帰省で母の実家に帰った時に、決定的な事件が起きた。
新幹線で3時間も離れた場所にある母の実家に行ってまで、「たっくん」が現れたからだった。
あっちゃんは、たっくんと一緒に遊んだと言い張る。
母は、あっちゃんのことがとても心配になって、思わず怒ってしまった。
「あっちゃん、いい加減にしなさい。たっくんがここにいるはずがないでしょう?嘘ばかり言うのはもうやめなさい!」
それから、あっちゃんはもう、たっくんのことを母には話さなかった。

やがて季節は秋になり、ある雨の日にあっちゃんはアパートの窓から、たっくんが向かい側の歩道に立っているのを見た。傘もささずに、雨に濡れてこちらを見ていた。
あっちゃんは、たっくんが可愛そうで、すぐに傘を持って行ってあげたかったけど、母に怒られると思い、窓からたっくんを見ているだけだった。
そしてそれ以来たっくんは、あっちゃんと遊ぶことは無かった。

・・・あれから季節は何度も繰り返し、
やがてあっちゃんこと敦子は、ひとりの男の子の母になった。

 『私が肝炎だと診断されたのは、妊娠9ヶ月の検診のときでした。
自分の体のことは大抵知っていると思っていたけど、よりによって大きなお腹を抱えてそんなこと言われても、うろたえるというよりも妙に冷静で、検査結果を告げた医師に「そうですか・・・」としか言えませんでした。
その帰り道、バス停まで歩きながら急に赤ちゃんのことが心配になって、大通りを渡る横断歩道が零れ落ちない涙で滲んで見えたのを覚えています。

 やがて私は長男の誠を出産しました。
出産後に行なった誠の肝炎の血液検査結果はマイナス。にもかかわらず・・・
新生児の世話をするにあたって布オムツを使用するその病院では、何かの疾患がある母子については紙オムツを使わせるということと、哺乳瓶とそれに付ける乳首は専用の消毒液に浸けて使用するということで、入院中の他のお母さん達に「どうして紙オムツなの?」「ワゴンに乗せている、その容器は何?」と聞かれるたびに返事に困ってしまいました。
他にも二人ほど、そういう母子がいましたが、お互いにそれについて話すことは無く、暗黙の了解のようなものがそこにはありました。
自分だけならまだしも、何よりも生まれたばかりの誠までが特別な視線で見られるのが可哀想で、産後の不安定な精神状態も手伝って、ベッド脇のカーテンを閉めて何度も泣いてしまう入院期間でした。
しかも、涙が誠に触れないように気を使って・・・』

 これは、僕の母が書いた日記のほんの一部です。
この日記を読むきっかけになったのは、母本人からではなく、僕が小学校の時に母と離婚した父からでもなく、僕がたまたまそれを見つけたわけでもなく、ある一人の男性からでした。
照りつける夏の日差しの中を、遥々遠方から僕の住む家に訪ねて来たというその男性は、一見すると母よりも少し年が若く、僕の顔を見るなり、なんとも懐かしそうな笑顔で、
「元気だったかい?19歳になったんだね。」と言ったのです。
それはとても突然で唐突な彼との出会いでした。
彼が僕に渡したのは、一枚のメモ。
そのメモには、「あなたに逢うために」というホームページのURLが書いてありました。
彼は、これを僕に渡すいきさつを話しながら、母のことを「おかあさん」と言ったり、「敦子さん」と言ったりしながら、僕が話の内容を理解して聞いているかをひとつずつ確かめているように、ゆっくりと語りました。
そして半日ほど話をした後、彼は自分を待つ家族のところへと帰って行きました。

彼は「保坂」という人でした。
母がちょうど僕を身ごもった頃にたまたまEメールで知り合って、それから何年かの間、メールのやり取りをしていたそうですが、そのメールも次第に途切れがちになり、久しぶりに母からメールが来たのは昨年の夏で、僕にこのメモを渡すことの依頼を受けたそうです。
「3ヶ月間、ホームページの日記の更新が無かったら、誠に会ってほしい。」と・・・
母と保坂さんとの間柄を詮索する気持ちは、僕にはありませんでした。
あの、保坂さんから感じる誠実な人柄と、わざわざこんなことを依頼した母と、それを快諾した保坂さんとの間にある大きな信頼関係の中には、僕の想像力では計り知れないものがあったからです。
父との離婚に関係があるかないかなども、僕には知る由も無く、今更知りたくはありませんでした。

 その夜、僕はパソコンを立ち上げてインターネットに繋ぎ、メモに書いてあるホームページを開きました。
そこにはただ日記しかなくて、アクセスカウンタも無く、だけどそのページ数は膨大なものでした。
開設した日からは数年しか経ってないけれど、それは僕を身ごもった頃からの母の日記でした。
どうして普通の日記帳ではなくインターネットに載せたのか、その理由はわからなかったけど、僕が高校の時に自分のホームページを作った時、母はすでに自分がホームページを持っていることなんて言ってなかったし、最初はなんだか本当に母の日記なのか信じられませんでした。
そしてその日から僕は少しずつ、この日記を読み始めたのです。

 僕が3歳の頃のある日の日記に、「たっくん」という男の子のことが書いてありました。
母自身が3歳くらいのときに、一緒に遊んだという仲良しの男の子。
でもそれは何か不思議な体験だったらしく、母の記憶には鮮明に残っていたようでした。
あの雨の日以来会えなくなった「たっくん」が、もう1度現れたのは、僕自身は覚えていないのですが、3歳の僕が母に、
「ボクはね、おかあさんに逢うために生まれてきたんだよ。」
と言ったという、その夜だったそうです。
その晩、眠っている母の夢の中に、幼い時の母と遊んだ頃と同じ姿のたっくんが笑顔で手を振っていたと。
・・・たっくんって、いったい誰なんだろう?

その答えは、日記を読んでいくうちに、母が僕に対して思っていた気持ちや、今までの母の人生の中にあるのだと感じ始めました。
 人はどうして生まれて来るのだろう。
 そして人生の中で、たくさんの出会いがある。
 それなのに、出会った人との別れがどうしてあるんだろう。。。

母は僕に逢うために生きてきたのだと、日記の中で明言していました。
そして、僕を産む以前に、生まれて来なかった赤ちゃんがいたことも・・・

母は今年の春、他界しました。肝癌でした。
僕は、母が肝炎を患っていたことについて、この日記を読んで初めて知りました。
どうして言ってくれなかったんだろう。
どうしてもっと早く適切な治療を受けなかったんだろう。
僕が生まれるときに、19年も前に、わかっていたことなのに。

 母の日記を全て読み終えた夜、しばらくの間ぼうっとパソコンのその画面を見つめていた僕は、はっと気がついて、トップページの画面を反転表示にしてみました。
するとそこには、十数万を超える数がカウントされたアクセスカウンタと、掲示板の文字が浮かび上がりました。
掲示板を見に行くと、すでに更新されないページへのたくさんの書き込みと、過去ログの中に生前の母の元気で明るいレスを読むことができました。

母が僕に、そして僕以外の誰かに残してくれたもの。
「あなたに逢うために」という、母からのメッセージ・・・

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きあぬさんからのキャラクターリクエストです。
キャラクターは「敦子」または「あっちゃん」です。

 

2001年8月6日記